福崎町の河童や妖怪で有名な辻川公園の南側にあるのが「三木家住宅」。

三木家はかつては伊予の国(愛媛県)の河野氏から出た武家で、姫路市の飾磨に領地を得て、英賀城主であった名門の武家。

三木合戦で織田軍に敗北し、こちらへ逃れてきたのかもしれません。江戸時代に姫路藩の大庄屋となり、この地域を取り仕切っていました。

この三木家住宅は、その三木家の邸宅でもあり、且つ政治を行う政庁の役割も持っていました。

邸宅内は非常に広い敷地面積で、部屋数もかなりの数です。

政庁ということもあって、時には民衆の反乱もあったようです。その時用に武者隠しがあったり、実際の騒動時の刀傷も残っています。

また、奉公人の部屋に繋がる梯子や、土間、調度品、打ち鐘なども。

そして、三木家と使用人・奉公人とは天地ほどの身分差だったようで、三木家の人々の部屋にはロックがかかるようになっていたようです。

  

この引き戸はロックがかかります。

珍しいものでは、電話室(電話番号は「3」)やお香の時計なども展示されています。

 

最後に、これが三木家の家紋「折敷に三の字」。河野家の家紋です。

 

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