歴史に名を遺す町

日本の発展を支えた生野銀山

 生野と言えば、全国的に有名な「生野銀山」
戦国の世から多くの人々が働き、銀や金の採掘を行い、日本の発展に寄与してきた遺構の1つ。銀山を入る前に資料館がありますが、そこでまるでアリの巣のように張り巡らされた採掘路とどれだけ危険な環境で働いていたのかが十二分に分かります。

 銀山の入口手前で冷気が流れてきました。気温はなんと13度。ちなみに、この日の外気温は30度を超えていました。中の気温は低く、ワインも貯蔵されています。

 銀山を一躍有名にしたのが「銀山ボーイズ」。
テレビでも紹介され、押しメンがつくほどの人気のアイドル?作業員です。お土産屋さんでも人気投票ボードがあったり、コロナに気を付けるようにソーシャルディスタンスを保つメンバーもいました。

幕末の志士たちが躍動

1863年(文久3年)に天誅組(大和国)に呼応して尊皇攘夷派の平野国臣らがここ生野で兵を挙げて失敗した「生野の変」の舞台でもあります。

生野で活躍したのが豪農出身の北垣晋太郎(国道)*左写真(Wikiより)。
生野の変後は、江戸や長州などで身を隠し、後には戊辰戦争にも参加、幕末の動乱を生き抜いた。

明治以降は、高知・徳島県令、京都府知事、北海道庁長官、貴族院議員、枢密顧問官などを歴任した豪傑です。

あたらしい町

そんな歴史ある生野の町には、近年移住者が増え、さまざま地域を盛り上げる事業や活動が行われています。
生野の自然や環境、町並みや歴史を堪能できるスポットや施設が多くあります。
ご紹介のスポット以外にも、生野書院や銀山手前の口銀谷(くちがなや)の古き良き町並み、少し足を伸ばせば黒川温泉など見どころは盛りだくさん。

電車(JR)をご利用の場合:播但線 生野駅下車
大阪・神戸より特急で約1時間50分(JR神戸線経由)

お車をご利用の場合:
中国自動車(福崎IC)→播但連絡道(生野ランプ)下車
大阪・神戸より約1時間30分

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