海に生きた名士
工楽松右衛門は播磨の国・高砂の生まれ。実家の漁労に従事しながら船の操縦技術や公開経験を積んだ。
そんな中、帆船の「帆」が作りが非常に弱いことに気づき、播磨特産の太い木綿で編んだ帆を開発した。これが「松右衛門帆」であり、瞬く間に全国の帆船に広まり、日本の海運技術の向上に貢献した。
その活躍が認められ、幕府からロシア帝国南下政策への対策として択捉島での埠頭建築を命じられる。
厳寒の地での厳しい工事を見事に完遂し、その功績から「工事を楽しむ、工夫を楽しむ」の意から「工楽」の姓を賜ったという。
60を超えて故郷・高砂に戻ってからも箱館の工事や小倉藩小笠原家から依頼が来たり、新田開発をしたりなど、八面六臂の活躍をした偉大な人物です。
より、詳しいことを知りたい方は、こちらをご参照ください。
・工楽松右衛門公式サイト
・工楽松右衛門旧宅
工楽松右衛門旧宅
工楽松右衛門の家系が居住していた建物がいまでも残っています。
建物内は奇麗に整備され、さまざまな工楽家の業績や私財が展示されています。