きっかけは、あの地震

2011年3月11日午後15時頃。
ビルの14階で仕事をしていた時、鈍い揺れを感じました。
周りの人たちもパソコンから顔を上げ、互いに様子を見ている。
揺れはまるで船に乗っているかのように徐々に大きくなり、やがて窓のブラインダーがガシャガシャと音を出すほどとなり、いよいよ普通ではないと分かり、騒然となりました。

何が起きているのかさっぱりわからず、窓際で外の様子を見ると、自分がいるビルが前に後ろに動いている。いまにもポキっと折れて、前を流れる川に落ちていきそうに感じる。

死ぬかもしれない。

そう感じました。そして、周りを見るとまるで映画で怪獣が出てきた時のように波打っている高速道路、遠くではコンビナートが爆発した様子が見える。

会社の適切な指示に従い、避難。その間、地震当初から携帯電話はまったく通じず、メールだけはなんとか届くことが分かり、家族の無事を確認。そして、運よく会社から何とか徒歩で帰れる距離だったので、歩いて3~4時間かけて帰宅しました。

困難はそれからも続きます。いつも言っているスーパーやコンビニには水や簡易的な食糧は消えている。仕方なく、実家から送ってもらうことになる。流通は1~2週間ほどで回復したように感じました。

自分の”生き方”を見直してみた

そんな経験をし、自分の命などいつ消えるか分からない生活は他人に頼るところが大きい(一人ではまったく生きていけない)ことを感じ、これまで仕事最優先でやってきた「生き方」が果たして正しいのか?と自問自答、シュミレーションをしてみました。

これまでの「生き方」

平日は毎日満員電車。 近づきたくもない知らない人と体を寄せ合い、冤罪に巻き込まれないように細心の注意を払う。通勤だけでおよそ30%ほどの体力と気力を失い、残りで仕事を頑張る。
そんな毎日を週の70%(5日間)も費やし、土日祝日はせめてプライベートを楽しみたいと思うものの、どこか頭の片隅から仕事が抜けず、気が付いたら仕事のことを考えてイライラしている。
そうして一週間が過ぎます。1か月が過ぎます。1年が過ぎます・・・・。

多くの東京をはじめとした都会で働く方々も同じような毎日を過ごしていらっしゃるのではないでしょうか。

このままの生き方を続けると・・・

・このまま東京勤務が続き、ある程度までは出世し、定年まで勤め上げる。もしくは地方を選んで転勤を希望したとしても、地域や職種の選択肢は少なく、希望しない仕事をすることになる。もちろん、出世コースからはドロップアウト。
・何十年も都内の狭苦しいマンションで騒音や近隣住民の迷惑に悩まされながら生活する。それを避けるには郊外に出て通勤地獄(ストレスと痴漢冤罪等のリスク)とのトレードオフをすることになる。
・家族(関西出身)は希望しない東京の地で、両親や友人(ほとんどが関西在住)に会える機会もほとんど無く、疎遠となる。
・互いの両親(中国地方、関西地区に在住)に会う機会は限られる。正月、GW、夏休み、お盆など機会はあるが、東京からの旅費や往復にかかる時間を考えるとそう簡単にはいけない。
・祖父母は年を取り、介護が必要な状態に。でも、たまに顔を出すことすらなかなかできない。

結論

つまるところ、私も家族も両親も祖父母も 誰も幸せにならない ということがわかりました。 東京家族という映画をご覧になったことがあるでしょうか?まさにそこで描かれている、仕事最優先で都会で生活し、意識しない内にもっとも大切なものを蔑ろにしてしまっている日本人。そのままでした。

これは、日本という国がヤバイのでは?

釈迦に説法ですが、戦後の高度成長で 日本は世界でも5本の指に入る経済大国であり続けています。日本人も「総中流階級」と言われるほど、平均的に生活レベル・品質が上がっています。(私が生まれた1970年代にはほとんどできあがっていましたね)。おかげでこんなに便利で清潔な国に住めるんだから、諸先輩方には感謝です。

日本の経済成長と日本人の暮らし方

その過程で、産業効率化の観点から産業都市化が進み、働く人々は各地の都市に移住しました。 この時点で、これまでの村とか町といった一次産業ベースの小さな単位で生活が完結していたコミュニティーは崩れ始めます。核家族化が進み、マンション住まいが主流となり、隣近所とか地域とかコミュニティーの繋がりが薄れていきます。
そして、これまで成長を支えていた重化学工業、家電、ITなどの産業の衰退とリーマンショックなどの経済事故により日本経済が基本的に成長が厳しい時代になり、自然と資本(人、モノ、金)は効率性を求める。各地の都市から、東京一極化がますます進行しています。あっという間に人口の1割以上が東京という小さな都市に密集し、「無理やり?仕方なく?」東京で仕事する人たちは、家族との距離がさらに開いたり、ストレスいっぱいの日々を強要されるようになります。

さらに、災難は続くもので、水面下で進行していた「少子高齢化」という巨大な課題が現実のものとなり、目に見えて人口が減少し始めてますね。   全国約1718の自治体の内616の自治体、35.9%が過疎指定されており、今後も増えていきます。 (参照:全国過疎地域自立促進連盟データ)   つまり、当然労働人口も減るので、ますます仕事のある東京に人が集められ、地方の自治体は消滅の危機に瀕します。   自分の育った町は大丈夫かな?気になります。 人が減るのでどうしてもそこでの商売は成り立たなくなり、商店街はシャッター通り化し、税収が減った行政はサービスをカットせざるを得ない。 全国的に介護職の数が不足していることはニュースにもなっていますが、商店や町の機能が衰退するところで生活するのはきっと相当大変なことでしょう。

明治維新以来の国のカタチが変わる時

ここまで読んでいただいた方がいらっしゃったら、めっちゃ感謝です。ということで、まとめます。

少子高齢化、東京一極集中(国のリスク&地方衰退)、経済停滞(これは景気云々というよりは、時代にあったビジネスモデルへの変換)というトリプル国難の時代です。

この国難を脱するためには、過去の成功が頭にある人たちが同じような手法で経済を中心に策を打っても良い結果は得られないと思っています。 物質的・金銭的なものよりも「こころの満足度」を高められる生活空間、ライフスタイルの実現がいまの私たち「日本人」の望むものではないでしょうか。


現実にその方向に徐々に向かっていると感じます。その後方向に走り出している人がいます。その実現は、残念ながらいまの政治家ではできないと思います。
だから、人任せにしてないで、批判ばかりしてないで、自分たちで作ればいい。

そんなこんなで、地域レベルで新しい日本人のライフスタイル、生き方と社会の仕組みを作り上げることにTRYしてみたいと思い、この事業をはじめました。
その地域として、縁ある播州(兵庫県南西部)をゾーニングし、活動を行いたいと考えています。
当然ながら、前述に記載したものは、思い込みや勘違いもあるでしょうし、実際に事を起こせば、あれやこれや、ロジカルなものから非ロジカルなものまで、山ほど問題にぶち当たると思っています。すでに、同じようなお考えで活動されていらっしゃる諸先輩方も当然ながら多くいらっしゃると思います。そのような方々と出会い、ご指導・ご鞭撻いただきながら、夢を実現できれば、「楽しかった」と言える人生になるのではないかと思っています。

この「想い」を実現するために、同じ想い、価値観を持つ仲間たち(個人・法人)を募り、組織化し、運営していきたいと思っています。
それは、今後少しづつ発信していきたいと思います。

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