あの官兵衛がいた
大河ドラマにもなった黒田官兵衛孝高。黒田家と言えば姫路の姫路城が真っ先に思い浮かぶ方が多いでしょう。
黒田家は最初は姫路の御着城主小寺家の家臣で、姫路城は小さな砦でした。
織田家の羽柴秀吉が播磨攻めに来た際に織田家に与し、姫路城を譲り渡してその平定に貢献した官兵衛は宍粟山崎の地を領地としてもらったのです。
山城・笹ノ丸城
笹ノ丸城は古くは南北朝時代、播磨守護の赤松家の城でした。
嘉吉の乱や応仁の乱を経て播磨で復活した赤松家は一族の宇野氏を笹ノ丸城と長水城に配しました。
その後、秀吉に与した官兵衛は恩賞に山崎の地を領し、笹ノ丸城に入ったと言われます。しかし、官兵衛の在城はわずか7年ほど。次の領主の時代には廃城となりました。
最上山公園に登山口があり、歩くこと30~40分くらいの登山で主郭部に到達できます。