<もう、あれから5年>
忘れないように。
あの時を振り返ってみる。(当時は、東京在住)

地震発生:
ビルの14F(確か)で仕事中、なんか揺れる。
上司が「これ、でかくないか?!」
の一言でみんながザワザワし始める。
数秒後には、ビル自体が軋む音がし、窓のサッシがガッシャンガッシャン。
窓から外をみると、向かいのビルたちや高速道路がまるで踊るように揺れている。
自分のいるビルもこのままポッキンと折れて崩れていくんだろうな、それって死ぬんかな、と思う。
漫画みたいで、恐怖はない。
しばらく眺めていると、お台場の方で火災というニュース。たしかに黒い煙が上がっている。
そして、千葉方面を見ているときに、いきなり火の玉がドッカーンと上がるのが見えました。
コンビナートが爆発炎上したようです。
まるで、映画です。

安否確認と状況把握:
訓練の時にも聞いたことのある「このビルは崩れません。」という放送を聞きながら、とりあえず妻の安否確認と何が起きているのか、情報収集する。携帯電話は何度かけても通じなかった。
インターネットは変わりなく使えるようなので、メールをしてみたら、返信が来て、無事であること、家の状況、どこにいるのかなどがわかった。
何が起きているのかは、いまだ詳しい情報はない。
ワンセグでテレビが見れたので、見てみると、東京で建物が崩れているニュース。
そうこうしているうちに、自分の部門の点呼や安否確認が進む。
誰か、あまりにもびっくりしたのか、一人で階段を降りた人がいて、安否確認がとれないと騒ぎなっている。(結局、戻ってきて確認がとれた模様)
ふたたびテレビを見ると、洪水のような画が流れている。このときはそれが地震と関係あるのかさえピンとこない。

帰宅、もしくは・・・:
その後は、特に何か指示があったように記憶していないが(あったかも?)、それぞれがどうするか判断をすることになる。
ある人は会社に残り、ある人は近くでテツマンし、ある人は自力で帰宅する。
当然ながら、埼玉や横浜、千葉、中央線などから来ている人は歩いて帰れる距離じゃない。
時間をやり過ごすしかない。
私は大田区でなんとか帰れる距離だったので、徒歩で帰宅することにした。
会社を出てみるが、いつも電車、しかも地下鉄なので、目印になる景色も無く、どっちに変えればいいのか、方角さえわからない。スマホの地図も使えるが、即効電池切れそう。
ん~・・・どうするかな・・と考え、じゃ、いつもの地下鉄の路線上にある駅の入り口を目印に帰ろう、と思い、ひとまず日本橋から東銀座方面へ、新橋を抜けて、三田、泉岳寺、品川で五反田方面へ。
五反田からは中原街道沿いに進めば、なんとか自宅。
自宅方面に向かう道路は同じように歩いて帰る人でごった返している。
まるで歩行者天国のごとく、歩行者が車道にはみ出しての大行進。
ある人は会社から支給されたヘルメットをかぶっている。
ある人は腹が減ったのか、今後を考えてかコンビニにダッシュしている。
ある人はチャリを入手しようと近くの自転車屋で急遽購入しているが、人の混雑でまるで進めない。(残念)
歩いている人たちは、どちらかというと悲壮感は無く、ただ黙々と歩くか、おしゃべりしながら談笑している。
途中で、何十回と携帯で電話を試みるが、まったく通じない。
ここで、「あ、親に電話してない」と気づき、無理かな~と思いながら電話すると一発で通じる。近くはNGで遠くは通じるというのが、どういう原理なのか不明です。
で、その理論で行くなら、遠くの親から遠くの妻に電話してもらえば通じるのではないかと、いまxxxxあたりを歩いているから、帰りはxxx時くらいになりそうだ、と伝えてもらった。
そして歩くこと、おそらく3時間半~4時間くらい。
やっと見覚えのある風景が目に入り、安堵感と「足が棒になる」とはこのことか、というくらいの足のパンパン具合に翌日が怖くなる。
やっと帰宅する。よく考えたら、この間、いっさい飲み食いせず、一度も休憩もせず、歩きっぱなしだった。
火事場のクソ力とは、このことか。
家族も家の中も無事でよかったが、この時点でも何が起こったのか情報が無く、ちょっとした放心状態。

普通の生活まで:
テレビでだんだん状況が伝わってきて、事の重大さに気づきます。
9.11の時もテレビでニュースを見ていましたが、人知を超えることを目の当たりにすると、まったくもって現実味がないんですね。
翌日には海外の仕事仲間から安否確認と激励のメッセージが多く届きました。一般的には海外では地震の被害が日本より大きいので、かなり心配いただきました。
その後、仕事を再開して、電話会議などの途中で余震が発生し、会話が止まるたびに、向こうからは「会議はいいから、早く逃げて」と言われたものです。
そして、もう1つびっくりしたことが、近所のスーパーやコンビニから簡易的な食品や水などが一切消えたことです。2~3日はあるもので大丈夫でしたが、その後は少し遠方のスーパーも行き、長蛇のレジ。(だそうです。妻曰く)
水は実家から送ってもらいました。
このときに、何か起こった時に、自分たちの食を確保できない環境にいることを痛感しました。
流通とサービスに完全に頼った生活なんだなと。自分で生きる力って、無いんやなと。

 

生きていたら、何があるかわからない。

後悔しないように。

いろいろ。

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